南屏道濟慈訓
人の一生をどう案配するのか、細かく考えてみなさい。
時間は同じで、上天はこの上なく公平です。善いことを行い、人を助けるために時間を使うのは、とても素晴らしいことです。人を害することに時間を費やし頭を絞るのは、価値のないことです。
時間にはもともと善も悪もありません,すべて人のなしたことによるのです。しかし、大道は弟子の身にあるのですから、言うこと行うことが理にかなっていなければ、他の人は道をよくないものだと言うでしょう。弟子たちが願いどおりに修め続けていくなら、他の人があれこれ言うこともありません。
上天は愚か者をかわいがってくださいます。こういった恩恵は何よりも尊いものです!
自分のこの人生について考えてみなさい。もともと素晴らしいものですが、人生の意味を創造して、生活の質を向上させるのならば、人格を高め、驕り高ぶらず、謙虚で、人に優しくするのです。
もし弟子が自分の願いをしっかり守り、ずっと師の歩みについてきて、縁に随って渡化するなら、こういった楽しさは買うことのできないものです。
心が美しければ、人は美しいのです。どうして外に求める必要があるでしょうか? 自分に要求して、一生懸命に修煉すれば、この人生は自然に輝きます。
志をしっかりと抱いて、天恩に報いるのです。
弟子が人生の苦難を経て、苦さえも楽しさに変えることができるよう望みます。なぜなら弟子はこういった錬磨を経験して、静かな心が現れてくるからです。これが人生の案配のお話です。
考えの一つ一つ、一歩一歩の歩みについて自分で反省する、それこそが修煉ですよ!
2016/05/21歲次丙申04/15
台中道場・正鴻佛院