達摩祖師慈訓
「心法」は、法を伝えることに心をこめるのです。もし心をこめて法を伝えないなら、心法を知っていることにはなりません。心をこめて法を伝えてこそ、天下の衆生を渡し尽くすことができます。法に心がこもっていなければ、ただ説法しているだけです。こんな法を説いて、どうして人を体悟させられるでしょうか?
心をこめて法を伝えていけば、たとえあなたが説く法が十分に素晴らしいものでなくても、あなたの法が真であること、あなたの法が誠であることを人に感じさせることができます。
ですから古(いにしえ)より「真経は紙の上にはない」と言われています。あなた自身の中で探究し、見つけるしかありません。そうしてこそ、あなた自身の生死の関門を見つけ出せるのです。
文字をたくさん読み、たくさん話しても、それはやはり文字です。やれなければ、行えなければ、自分が心の中から発見したのではないというです。実感をもって悟ったなら、それはまさに心の法です。実感をもって悟ることができなければ、心法にはなりえません。
ですから、この《心経》を覚え、しっかり記憶したとしても、それをあなたの心の中から出さないなら、心の中の経典を取り出さないなら、心の中の経典を行わないなら、あなたは結局まだ自分を見つけることができていないのです。
2002/05/25歲次壬午04/14
台南・濟德佛院